「人類は同じ過ちを犯す生き物である。」
誰かがこんなことを言っていた気がする。
まぁ、兎に角、私もその一人である。
私は小さいころよく同じことで怒られていた。
「靴を靴箱へしまいなさい」
「ちゃんと使ったら片付けをしなさい」
今でも、時々靴を脱ぎっぱなしにしているときがある。使ったものを片付けずにいることがある。
だが、今になってその言われた意味が理解できた。
もう今では、その時々の時以外は靴をしまっているし、片付けもしている。
でも、なぜ過去の自分はこんな些細なことで何度も何度も怒られたのだろう。
逆になぜ、何度も怒られたのに今になってちゃんとできるようになったのだろう。
不思議だ。
本当に不思議だ。
でも、できるようになったという分岐点は存在するんだろうと思う。
それは、「意味を理解した」ということだろうと私は思う。
靴をしまうのは来客が来た場合気持ちよく玄関を使用してもらうため。
使ったものを片付けるのは次にそれを使うときそれを見つけやすくするため。
人間は、行動の意味を見出すことで過ちを繰り返さなくなる生き物だと私なりに勝手に解釈している。
だから私も自分の過ちに意味を見出すことで、同じ過ちを犯さないと思われる。
でも、実は「時々」同じ過ちを僕は犯している。
だから結局、私は同じ過ちをこれからも犯し続ける。
この記事へのコメントはありません。